一般のみなさまへ for citizen

東海支部

癌末期の人が求めるもの

平野 博(松阪市民病院 緩和ケア病棟担当)


(1)緩和ケア病棟の紹介

緩和ケア病棟の概要を紹介します。
 皆さんはホスピスという言葉を耳にされた事があるでしょうか。もともとは、日本にあったものではなく、イギリスにある施設です。“寒い日に行き倒れになった人を建物の中に連れてきて、暖かくして食べ物を振る舞ってもてなした”、というような施設です。
 日本には、緩和ケア病棟という名称の施設、ホスピスという名称の施設があります。ホスピスという名称の施設は、緩和ケア病棟の中に小さな教会を造って、そこにキリスト教の宗教家が関わる施設の事をいいます。
 最近、日本の病院では、癌を治すための治療を終了した病人が、長く入院している事が出来なくなりつつあります。つまり、癌の治療を受けて治らない場合、癌が身体の中に残っていても、「治療が終わりました。これ以上の治療が出来ませんので退院して下さい。」と退院を促されるような時代になってきました。
 癌が見つかって治療を受けて治る人も居ますが、治らない人も居ます。治る人はいいんですが、治らない人が命の終わりまで過ごす場所がなくなってきました。
 近年、このような傾向が強くなってきましたが、30年ほど前から、癌があって治療を受けても治らない人が過ごす場所があって欲しい、と考える人たちが居て、多分、その中の何人かの人達はイギリスに留学して、ホスピスについて学びました。
 そして、1981年4月、浜松市に日本で初めてホスピスが開設されました。聖霊三方原ホスピスです。その後、少しずつ緩和ケア病棟が増えていきました。国内に緩和ケア病棟が増えるにつれて、その内容をある程度、一定のものにしておきたいという理由から、1997年1月16日に、取り決めが出来ました。
 全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会という人の集まりがあり、そこに関わる人たちの努力によって、日本で初めて、ホスピス・緩和ケア病棟について、文書での取り決めが出来ました。
 それが、『ホスピス・緩和ケアプログラムの基準』です。そこに書かれた取り決めの中で、主な項目を紹介します。
 尚、ここに紹介する基準は、日本ホスピス緩和ケア協会によって2005年12月3日の日付で、『ホスピス緩和ケアの基準』に改訂されています。多少の変更がありますが、その骨子に大きな変化がないと考えるので、以前のものに沿って話を進めます。

[1]入院の条件:
(ⅰ)医師が治癒が望めないと判断した悪性腫瘍またはエイズの患者を対象とする。
(ⅱ)患者と家族またはそのいずれかが入院を希望している事が原則である。
(ⅲ)入院時に患者が病名・病状について理解している事が望ましい。理解していない時には、患者の求めに応じて、適切な病名・病状の説明がなされる。
(ⅳ)家族がいない事、収入が乏しい事、特定の宗教を信仰している事など、社会的、経済的、宗教的な理由で差別しない。

この入院の条件の(ⅰ)を言い換えると、「身体の中に癌があって治らない人」という事になります。癌が発見された時に、既に広がりが大きくて、手術が出来ない場合とか、最初は手術で治ったかのように思えたけれど、何年か後に再発や転移したりして、抗癌剤を使わなければならなくなり、その抗癌剤の治療が最初は有効だったけれど、回数を重ねるごとに、癌が小さくならないばかりか、却って副作用で苦しめてしまうような場合を、“治らない”、と判断します。
 そのような場合に、治癒を目的にした医療を続けると、却って病人を苦しめてしまう可能性が高いから、治療出来ません、という事になります。緩和ケア病棟では、治す為の医療を行わない、という事になります。
 そのような病棟ですから、普通の病棟とは、雰囲気が違います。もし、意識のしっかりした病人が、自分の病名を知らされずに、緩和ケア病棟に入院すると、“この病棟は変な病棟だ。”と思われる事になります。極端な場合には、「こんな病棟に入院していたら死んでしまう。元の病院に連れ戻してくれ。」と言われた事もあります。
 そんな事がおきると、お互いに不愉快です。と言う訳で、緩和ケア病棟入院前に、本人に病名・病状を知っていて欲しい、というのが、入院の条件の(ⅲ)に書いてあります。言い換えると、緩和ケア病棟入院の前に癌の告知をしておいて欲しい、という事になります。
 癌の告知は、誰もが言いにくい事です。言いにくい事をどうしても言わなければならない、という事は書いてありません。しかし、但し書きとして、『患者の求めに応じて、適切な病名・病状の説明がなされる。』という文章が見られます。
 告知を受けずに入院して本人が、“変だなあ”、と思われて、病名や病状を尋ねられたら、その時には事実を知らせます、という意味です。尋ねられてもいないのに、医療従事者側から病人に向かって、積極的に告知をする、という意味ではありません。
 実際には、告知を受けずに緩和ケア病棟に入院になる方もあります。そして、その人達の中で、私に病名や病状を尋ねられる方は、わずかでしかありません。尋ねられない方は、ふつうの病棟とは異なる緩和ケア病棟の雰囲気から、また、御家族の言いにくそうな雰囲気から、また、周囲の人の雰囲気などから、どこからともなく、自分自身の病名や病状を察していかれるものと思われます。
 治癒を望める病状の場合には、治療について説明する必要があるので、その場合には、告知を医療従事者が請け負うのが適当でしょう。
 治癒を望めない癌末期の場合の告知の意味は、“別れの挨拶”の意味合いが強いと考えられます。ですから、その場合の告知の適役は、身近な御家族などになるのではないか、と私は考えます。

ここから、ホスピス緩和ケア病棟の内容について話します。
[2]ホスピス・緩和ケアの基本的な考え方:
 『ホスピス・緩和ケアは、治癒不可能な疾患の終末期にある患者および家族のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の向上のために、様々な専門家が協力して作ったチームによって行われるケアを意味する。そのケアは患者とその家族が可能な限り人間らしく快適な生活を送れるように提供される。ケアの要件は以下の5項目である。』
 ここに書いてあるのは、ホスピス緩和ケア病棟の大まかな内容が書かれていると思って下さい。クオリティ・オブ・ライフ(QOL)などというカタカナが入っていて、日本人の私には、意味を理解しにくい文章です。私なりに日本語で言い換えてみると、こうなります。
 『癌が身体の中にあって、治らないと判断された人が緩和ケア病棟に入院になります。そこでは癌を治す為の医療をしませんから、時間の経過につれて癌が進行します。そうすると、それまで日常ごく当たり前に出来ていた事が出来なくなります。食べる事、排泄する事、入浴する事などです。治らない癌があるといっても、直ぐに死ぬとは限りません。死ぬまでは生きているわけですから、それまでの間、誰かが身の回りのお手伝いをしてくれないと困ります。そこで緩和ケア病棟では、いろいろな職業の人が集まって、出来なくなった身の回りのお手伝いをします。その時、治らないと判断された病人とその周りの人が、何を考えて、何処に向かって進めばよいのか、について、ケアの要件として記載しておきます。』
 これが、『ホスピス・緩和ケアの基本的な考え方』に記載された文章の意味だと、私は考えています。
 次にケアの要件について話します。
 ふつうの病棟では、病人、身内の人、そして医療従事者など皆が、『病気を治そう。治らない時にでも出来るだけ長生き出来るようにしよう。そこで苦しければ、その苦しみを何とか軽くしよう。』という方向に向かって進めばいいですよね。じゃあ、治らない癌がある病人やその周りの人は、どこに向かって進めばいいでしょうか。その事も、『ホスピス・緩和ケアの基本的な考え方』に書いておいて欲しいですね。ここにはちゃんと書いてあります。『ケアの要件』として、5項目書いてあります。
 『ケアの要件』というのは、『治らない癌がある病人やその周りの人が、どこに向かって進めばいいか?こんな事を皆で考えようよ。』という事を書いたものだと、私は考えています。ですから、医療従事者側から、医療を利用する側の人に向かって、強要する事ではありません。
 それでは、『ケアの要件』の[2]と[3]について話します。

『ケアの要件』[3]:「痛みやその他の不快な身体症状を緩和する。」
この文章の意味は、『痛みや不快な身体症状はなくなる事はありません。すべての苦しみをなくそうともしません。でも、我慢できないくらいのひどい苦しみは、何とか我慢できる程度にするような医療をやっていこう。こういう事を皆で考えていこう。』、『皆でこんな事を考えて進もうよ。』
という事になります。

『ケアの要件』[2]:「死を早める事も、死を遅らせる事もしない。」
 この文章の前半部分『死を早める事もしない』の意味は、『安楽死をしない』と言い換える事が出来ます。後半部分『死を遅らせる事もしない』の意味は、『延命医療をしない』と言い換える事が出来ます。ここで言う延命医療とは、治らないと判断された癌末期の人が食べられなくなった時に点滴で栄養を補給する医療、が、その代表です。
 また、入院中の病人が誰も予期しない時に、急に呼吸が止まったり心臓が止まったりした時に行う事のある、人工呼吸や心臓マッサージも延命医療の代表です。
 具体的には、『治らない癌末期の人が食べられなくなった時に点滴をしない』、『人工呼吸や心臓マッサージをしない』事になります。
 ケアの要件に書かれた文章は、『・・・何々しない』という表現ですが、この文章はあくまでも“ケアの要件”です。ですから、医療従事者側から医療を利用する側の人たちに向かって強要するものではありません。
 ふつうの病棟で行われる医療は、『病気を治そう』、『病気が治らない場合でも、出来るだけ長生き出来るような医療をやろう』、『苦しみをなくそう』という方向に向かって、皆が進めばいいんですよね。
 ふつうの病棟で食べられなくなった癌末期の人には当たり前のように点滴しますが、緩和ケア病棟では点滴しない事も考えよう、という事になります。
 ふつうの病棟で当たり前にやっている点滴をしないのには理由があります。その理由を考えてみましょう。  食べられなくなった時に点滴で栄養を入れると、入れた栄養は、生命を維持する為に有効に利用されると同時に、癌が育つのにも有効に利用されそうです。もちろん、点滴した栄養が癌の発育に利用されているかどうかの証拠は示せません。考えてみると、そのような事が考えられる、というだけです。
 今話した事について、私がこれまで30年近く病院勤務をしてきて、ふと、思いついた言葉を紹介します。
『点滴で栄養を入れると身体が痩せにくい。苦しみも痩せにくい。』、『点滴で栄養を入れないと、点滴しない時よりも身体が早く痩せる。身体が痩せると、それにつれて苦しみも痩せる。』、『点滴しない方が楽そうに見える。』、と、このように見えました。
 このように見えたからという理由から、治らないと判断された癌末期の人が食べられなくなった時に、点滴しないのが正しい、と言っているのではありません。点滴しない方が苦しみが軽そうに見える、という事を言ったのです。
 ある熟練の外科医は、私に、こう教えてくれました。『癌末期で食べられなくなった時に点滴するのは、病人のリュックサックに食べ物や飲み物を一杯詰め込んで山登りをさせるようなものです。』という表現でした。
 ここで理屈をこねると、『点滴で栄養を補給して、苦しくなったら薬で不快な症状を緩和すればいいじゃないか?』という考えが出てきます。  理屈を考えればそうなりますが、実際には、結構難しい事です。もし、そのような事を考える場合には、同時に、“人の寿命”というものも考えて欲しいと思います。
 長生きする事は皆にとって好都合な事でしょうけれども、苦しむ事は皆にとって不都合な事です。
 『点滴する事は、このように好都合と不都合が同居していると考えますから、その場その場で皆で考えて悩もうよ。皆で考えて悩む方向に進もうよ。』、というのが、『死を遅らせる事もしない』という文章の意味だと私は考えています。
 以上、ここまで、緩和ケアプログラムの基準について話しました。

それではここで、松阪市民病院緩和ケア病棟の施設の写真をご覧下さい。
写真は合計5枚です。手短に説明を加えます。
無料個室 ●無料個室トイレ ●有料個室洗面台 ●特殊浴室 ●

松阪市民病院緩和ケア病棟は20床全室個室です。無料個室が10床、有料個室が10床です。
 すべての病室の窓から、車椅子で庭に出る事が出来ます。
 すべての病室のトイレに車椅子で入って、ドアを閉める事が出来ます。トイレの面積、便座の高さ、便座と壁との距離、手すりの太さや位置などについて、理学療法士に教わって設計されました。
 すべての病室に、車椅子の“足の部分”が邪魔にならないように、車椅子でも使いやすいタイプの洗面台が設置されています。洗面台で洗髪出来る機種になっています。
 当然ながら、身体を動かしにくくなった時に横になったままで入浴出来る、便利な機械で動かせる特殊浴槽が設置されています。
 設置基準に定められている家族室があります。
 すべての病室の窓から車椅子で、また廊下の突き当たりのドアからベッドのままで、庭に出る事が出来ます。
 以上、写真について説明しました。

(2)入院後の病人の姿:

ここからは、実際の癌末期の人の入院後の姿を想像して話を進めます。
 癌の進行によって、食べる意欲が低下します。痛み、呼吸の苦しみ、吐き気、倦怠感、トイレに歩いて行けない、オムツをしての生活を強いられる、眠れない、というような状況になります。
 そんな時に、人は何を考えるでしょうか?

(3)癌末期の人の訴え、要望、呟き。

 緩和ケア病棟に入院してこられる状態は様々です。時間の経過と共に、大切にしたいものが変わっていくように思えてきました。
 まず、その訴えを列挙してから、その意味について考えてみる事にします。
 1.「この痛みを何とかして下さい。」、「モルヒネを飲んだら痛みを忘れて、病気が治ったみたいです。」、「モルヒネを飲むとよく眠れるからいいね。」、「モルヒネを飲んだら痛みは軽くなりましたが、だるさを感じるようになりました。」、「最近食べられなくなってきた。点滴はどうかね。」、
 2.「モルヒネを飲むと眠ってしまう。」、「私は身体が動かせなくなって何も出来なくなった。私が生きていると他人の迷惑になる。早く楽にして下さい。」、
 3.「照明を消さないで下さい。」、「夜の来るのが怖い。」、「うちに帰りたい。」、「一人は寂しい。」、「もう少しここに居てくれないか。」、
 1~3に示しましたように、時間の経過につれて、訴え、要望、呟きの種類が変化するように思えます。病人の置かれる状況が変化する事によって、大切にしたいものも変化するようです。どのように変化するのかを考えてみました。
 1.身体をある程度動かせる時期には、医療従事者という、自分以外の他人に向かって、不快な身体症状の緩和を依頼される。この状況において大切にしたいものは、苦しみを緩和する為に便利な医療のようです。言い換えると、癌末期の人が求めるものは、『薬を代表とする医療』、だとも言えそうです。
 2.身体を動かしにくくなる時期には、他人の迷惑になる自分の存在が重荷だと感じて居られるように思えます。この状況にある癌末期の人が大切にしたいものは、『生産性の低下した自分の存在を認めてくれる人』、なのではないか、と考えました。
 3.“もうだめだと思って居られるであろう”と私に思える時期になると、誰かと話をしていたい、目が開いていて欲しい、孤独で居たくない、など、ふだんごく当たり前にあった事が、そのまま続いてあって欲しい、と願って居られるように思えます。
 周囲の人が許してくれる雰囲気があれば、目を開いて生きていたい、と思って居られるような雰囲気を感じます。
 この状況において大切にしたいのは、医療だけではなく、むしろ、光、音、人、愛情、そして元々、人に備わっている機能のように思えてきました。言い換えると、この状況にある癌末期の人が求めるものは、『薬などの医療だけではなくて人』なのではないか、と思えてきました。

【まとめ】

 市民公開講座のひとつとして、緩和ケア病棟の概要を紹介し、続いて、癌末期の人の求めるものについて、病人の言葉を聞いて、私が考えた事を話しました。
 癌末期の人が求めるものは、時間の経過と共に変わっていくように思えました。
 それは、ある程度自分の思い通りに身体を動かせる時期には、薬を代表とする『医療』であるように思えました。
 そしてそれは、少しずつ動かしにくくなる時期になって、医療ではなく『人』に変わっていくように思えました。
 緩和ケア病棟で、自分の身体が動かせなくなっていく癌末期の人に関わる場合には、今日、ここに話したような事を思い出しながら関わろうと考えています。

図  表 

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