一般のみなさまへ

健康情報誌「消化器のひろば」No.17-2

ずばり対談
ゲスト 俳優 村上弘明/東北大学消化器外科学分野(肝胆膵外科)教授 海野倫明

俳優の村上弘明さんは2011年の東北大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市の沿岸部にある漁師町・広田町の生まれ。震災後は特にチャリティや観光大使など、故郷の力になりたいと現地での活動に力を入れています。そんな中見つかった早期の大腸がん。人生で初めての手術を通して感じたこと、震災後10年を目前にした東北への思いを、東北大学病院の海野先生と語り合っていただきました。対談は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言解除後の東京で、十分な感染防止策をとって行われました。

(2020年6月4日収録)

大腸ポリープから大腸がんへ

海野
「仮面ライダー」や「必殺仕事人」などで活躍された村上さんには、アクションのうまい俳優というイメージがあります。

村上
スポーツは昔から好きで、野球部に入部したくて宮城県の気仙沼高校へ越境入学したのですが、自宅通いができなくなるということで、入部は断念しました。芸能界に入ってからもジョギングや水泳で身体を鍛えています。健康管理というより鍛錬に近い、アスリートのようなトレーニングです。ですからこれまでは病気や病院とはまるで縁がなく、自分ではがん検診も必要ないと思っていたのですが、10年前に年齢的にも受けたほうがいいと勧められて、むしろ周囲を納得させるために人間ドックを受け始めたのです。オプションプランだった大腸内視鏡検査を初めて受けたところ、大腸ポリープが見つかり、主治医の先生に「富士山」と名付けられて、その場で切除してもらいました。

海野
面白い先生ですね(笑)。

村上
ただ、それだけでは終わりませんでした。切除したポリープを調べたところ、「先端ががん化している可能性もあるので、定期的に内視鏡検査を受けてください」と言われ、約10年後には早期の大腸がん(注1)が見つかり、患部の前後各10㎝を腹腔鏡下手術(注2)で切るとのことでした。身体にはかなり自信があったので非常にショックでした。主治医の先生からは「ごく早期だからそんなに深刻な顔をする必要はないよ」と励まされたのですが、身体の中に器具が入ること自体に抵抗感があり、手術への決心がなかなかつきませんでした。家内の「悪いものは取ればいいじゃない」という一言でようやく覚悟を決められました。

海野
「大腸ポリープ」(注3)というとすべて良性の腫瘍だと思われがちなのですが、実は「腺腫」(注3)という種類のポリープはがん化するリスクが非常に高いのです。村上さんのポリープもおそらく腺腫だったのでしょう。一度大腸ポリープが見つかった人は、切除した後も定期的に大腸内視鏡検査を受けることをお勧めしたいです。

出典:日本消化器病学会ガイドライン「大腸ポリープガイドQ&A」

注1 大腸がん:
大腸がんは結腸・直腸・肛門に発生するがんの総称。日本人の場合、大腸がんの中でもS 状結腸と直腸のがんが発生しやすい。早期の段階では自覚症状はほとんどないが、進行すると血便や下血、下痢と便秘の繰り返し、便が細い、残便感、おなかが張る、腹痛、貧血、体重減少などの症状が現れる。男性のがんでは前立腺がん、胃がんに次いで第3位、女性では乳がんに次いで第2位とかかる人は多く、罹患率は50歳以上で増加、高齢になるほど高くなる。大腸がんの死亡率は男女とも1970年代から急増しており、脂肪摂取量の増加と関連があると考えられている。

注2 腹腔鏡下手術:
おなかにつけた小さな創からカメラを入れてモニターで腹腔内を観察しながら、特別な器具を操作して血管の処理や剥離を行う外科手術。1980年代後半に開発され、1990年代前半から大腸がん手術に取り入れられている。傷が小さいので術後の痛みが軽く、腸管運動の回復も早く経口摂取も早期に開始できる。また長期的に見ても癒着を起こしにくいと考えられている。

注3 大腸ポリープ・腺腫:
「大腸ポリープ」とは大腸の粘膜層の一部がイボのように隆起してできたもののこと。腫瘍性のポリープとそれ以外(非腫瘍性)のものに分けられ、「腺腫」は良性腫瘍ではあるが、後に大腸がんになる可能性がある。腺腫のうちにそのポリープを取ってしまうことで大腸がんを予防することができる。

手術台のライトがつくと、「ドラマと一緒だ」と思った

海野
手術前日は心配でしたか。

村上
不安と緊張がありました。大腸の一部を切除することで、これまでとは体調が変わるのではないかなどと感傷的になりました。しかし、翌朝手術室にストレッチャーで運ばれ、手術台の上に載せられてライトがつくと、「ドラマと一緒だ」と。私は医師の役は演じたことがあるのですが、患者役は演じたことがありませんでしたから、よい経験になるだろうという気持ちになりました。術後もまるで痛みはなく、自分の身体に点滴などいろいろな管が取り付けられているのを見て、自分の力で生きているというより、生かされているのだと思いました。

海野
私も35年前、医学部5年生のときに胆嚢ポリープで手術を受けた経験があります。その頃はまだ腹腔鏡はなく開腹手術で、術後2~3日間痛みを抑えてくれる硬膜外麻酔もありません。麻酔から覚めた直後から「なぜこんなに痛いのか」という記憶しかありません。村上さんもそうですが、腹腔鏡下手術を受けられた方は皆さん「痛みはあまりなかった」とおっしゃるのがうらやましい(笑)。痛みがないと退院も早いです。

村上
痛みがあるのとないのとでは何が違うのでしょうか。

海野
たとえば歩行開始時期も違います。私が歩いたのは術後3日目ぐらいでした。当時、術後は「絶対安静」とされ、48時間はベッドから起きてはいけないと指導されていました。

村上
私は手術当日の夜にはもう歩かされました。歩いても傷口が広がらないか心配でしたが、それでも、おそるおそる数歩ほど歩きました。

海野
腹腔鏡下手術は1㎝ほどの創が4か所ほどですから、その点も開腹手術とは全く違います。筋肉をほとんど切らないのでダメージが少ないのです。

被災地の人々の思いを伝えたい

村上
話は変わりますが、私はN H K大河ドラマで藤原清衡を演じたことがあります。

海野
1993年の「炎(ほむら)立つ」ですね。

村上
はい。私は1956年生まれですが、清衡はちょうど900年前の1056年の生まれで、奥州、現在の東北一帯を平定し、中尊寺金色堂を建てて敵味方なく供養しました。落慶供養願文の中で「普(あまねく)皆平等なり」、つまり「自然の厳しさの前には人間は勝てない。だから人は平等で争わず、互いに支え合い、命を尊重しなければならない」と訴えています。その中尊寺が東北大震災の起こった2011年に世界遺産に認定されたのです。震災で犠牲となった多くの人々を弔い、皆がワン・チームになって新たな街づくりをしていこう― まさに清衡の理念が重なっているように感じられました。私は役者の仕事の他に、岩手県の観光特使や東日本大震災被災地の現状を伝える活動もしています。震災直後に陸前高田の高台から変わり果てた町の姿を見て、胸がつぶされるような、足元から力が抜けていくような思いでした。それ以来、今回、手術を受けたことはこれから自分がやるべきことのヒントを与えてくれている、そして時間は限られていると身をもって感じました。被災の状況や被災地の人たちがどんな思いで暮らしているか、今の状況を伝えるのが自分の役目なのだ、と諭された思いでした。

東北の将来をつなぐのは「道」

海野
私も東日本大震災を機に「自分は何をしなければいけないのだろうか」と考えるようになりました。村上さんは震災以降、頻繁に故郷の岩手県に行っておられるそうですね。

村上
震災関連の仕事はスケジュールの許す限り引き受けています。陸前高田市のある広田湾は、過去何度も津波に襲われています。大震災前年にもチリ中部地震の津波がありましたが、津波警報が出ても逃げる人はほとんどいませんでした。防潮堤までもたどり着かないくらいの小さな津波が何度も重なって、津波警報がオオカミ少年のようになり、いざ大きな地震が来ても逃げないようになってしまっていました。2010年にナレーションを担当した「チリ地震津波50周年」の番組でも懸念するコメントで締めくくったのです。東北大震災でも、あれだけの大地震であったにもかかわらず、やはり避難しようとしなかった人が多かったのではないかと思います。もちろん、震災の記憶が残っている今なら皆逃げるでしょう。しかし、30~50年経って世代が変わり、津波が昔話として語られるようになったときが問題です。避難することの大切さを伝え続けていかなければなりません。

海野
震災からもうすぐ10年です。その間、東北地方は人口の急速な減少という問題に直面してきました。復興予算で建物が新しくなっても、経済、医療環境など、地域の人たちが安心して暮らせるようになっているのか、疑問が残るところもあります。医療でいえば医師不足も深刻です。高速道路の三陸自動車道が立派になり広域での救急搬送がしやすくなったので、大きい病院をある程度大きい町に集めて集約化することを考えるべき時代になってきています。

村上
やはり道ですよね。私は三陸道も大事ですが、内陸部とつながる道路の整備が大事だと思っています。沿岸部の価値を見出してくれるのはむしろ内陸部の人たちなのではないかと思うのです。たとえば盛岡在住のアナウンサーさんたちは、広田湾の獲れたてのホタテに「涙が出るほどおいしい」と感動してくれます。沿岸部の人からそんな話は聞いたことがありません。沿岸部と内陸部との道がもっと造られれば、仙台と陸前高田は通勤圏になる可能性もあります。海野先生が言われたように、道さえあればすぐ内陸部の病院にも行けます。「すべての道はローマに通ず」という言葉がありますが、道の重要性は今も昔も変わらないのですよね。

海野
「岩手愛」を超えて「東北愛」の詰まった村上さんのお話に、同じ東北人として感激しました。今日はどうもありがとうございました。

構成・中保裕子

プロフィール

村上 弘明(むらかみ ひろあき)

村上 弘明(むらかみ ひろあき)
1956年、岩手県生まれ。大学時代に映画「もう頬づえはつかない」(1979年)のオーディションをきっかけに芸能界入りし、1979年に「仮面ライダー スカイライダー」の主演に抜擢される。1985年に「必殺仕事人V」にレギュラー出演を果たし、以降は時代劇でも活躍。映画「極道の妻たちII」(1987年)、NHK 連続テレビ小説「都の風」(1986年~)、大河ドラマ「炎立つ」(1993年~)、「秀吉」(1996年)、「銭形平次」(2004年)をはじめ、数多くの作品に出演している。2012年5月、NHK 東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」にボーカルとして参加。いわて☆はまらいん特使を務める。

海野 倫明(うんの みちあき)

海野 倫明(うんの みちあき)
1961年、宮城県生まれ、秋田県育ち。1986年に東北大学医学部を卒業後、外科医としての経験を積み、2005年には東北大学大学院消化器外科学分野教授に就任。難治性疾患の多い肝胆膵外科領域の治療法の研究に尽力している。日本消化器病学会、日本外科学会、日本胆道学会、日本肝胆膵外科学会、日本膵臓学会の理事、膵癌術前治療研究会代表世話人などを務める。『消化器のひろば』広報委員長。

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