一般のみなさまへ

健康情報誌「消化器のひろば」No.20-2

ずばり対談
元プロ野球監督・野球解説者 梨田昌孝/獨協医科大学 医学部内科学(消化器)講座主任教授 入澤篤志

プロ野球の近鉄、日本ハム、楽天で監督を務めた梨田昌孝さんは2020年3月に新型コロナウイルス感染症にかかり、50日間もの入院生活とその後の療養を経て、同年10月野球解説者として復帰されました。今号は現役時代から梨田さんのファンでもある入澤篤志先生が新型コロナ、そして監督として3度の優勝、通算805勝を指導した名将のリーダーシップに迫ります。“実は肺炎だけではない”新型コロナの「おなかの症状」についても紹介します。

(2021年10月28日収録)

98~99%は助からない

入澤
私は野球少年だったので、近鉄バファローズの選手時代から梨田さんは憧れの人で、球史に残る死闘として知られる「川崎球場10.19(1988年)」もテレビ観戦し、監督としてのご活躍も応援していました。今回は大変な思いをされたと思いますが、その後体調はいかがですか。

梨田
入院中、人工呼吸器をつけていた16日間は意識がなく、息子は主治医の先生から「98~99%は助からない、生きられても重い障害が残るだろう」と聞いていたので、家族には「こんなに元気になるとは思っていなかった」と言われます。ただ、味覚や嗅覚の異常、脱毛といった後遺症はありましたし、人工呼吸器が入っていて人と話すことができなかったせいか、まだ声のリハビリが不十分です。仕事に復帰して1年経ちましたが、今も3時間以上の放送では声が出にくくなります。それから長年野球で酷使していた関節の痛みはかなり強く、今も右手の関節の痛み、動きや感覚の鈍さが残っています。後遺症かどうかはわからないと言われるのですが、そういう症状もあります。

入澤
本当に大変な思いをされましたね。新型コロナの後遺症は味覚障害や脱毛のほか、だるさや仕事中立っていられないなど全身の症状が多いといわれていますが、関節痛は初めて聞きました。でも、まだまだわからないことがたくさんある病気なので、後遺症とは関係ないと断言することはできないと思います。

下痢が「実はコロナ」ということも

入澤
新型コロナでは、消化器内科の診療にも大きな影響がありました。たとえば胃内視鏡検査では喉への刺激によりむせる方もいらっしゃいます。もし感染された方が検査を受けると、咳とともに口からウイルスが出てきます。またコロナウイルスは便中からも出ますので、大腸内視鏡検査中のおなら一つでもウイルスがまき散らされる可能性もあります。このように私たち医療従事者にも感染のリスクがあり、さらに私たちを介した患者さんへの感染リスクも考えて、当初は緊急の場合以外、検査を大幅に削らざるを得ませんでした。現在はきちんと防護服を着て検査を行えば、感染の可能性は極めて低いことがわかり、仮に次の感染拡大が来たり、10年後に“COVID‐29”の流行に襲われたりしたとしてもほぼ問題なく診療できる体制が作られてきています。
新型コロナの症状は肺炎が中心ですが、実はおなかの症状も少なくないのです。患者さんのだいたい5割くらいの方に下痢や食欲不振など消化器症状があると報告されています。新型コロナウイルスはACE2という酵素を通して体の臓器に入っていくのですが、ACE2は肺だけでなく腸や膵臓などほとんど全身の臓器にあるので、肺の問題だけではありません。ですから腸炎や膵臓のトラブルが起きてもおかしくないのです。下痢症状で病院を受診したところ、新型コロナであることがわかったという方も患者さん全体の数%程度いらっしゃいます。梨田さんはおなかの症状はありましたか?

梨田
僕は感染当初はなかったのですが、治療後は食べようと思っても食べられなくて、むしろひどい便秘でした。体重は18㎏ 落ち、久しぶりに見た自分の顔に「この人、誰?」とびっくりしたほどです。やっと重湯が食べられるようになっても感覚が鈍ってスプーンがうまく使えない、字も書けないし、筋肉がやせ細って腰にも背骨にも力が入らず、ベッドの端に座ることさえできない。まるで首が座らない赤ちゃんのようでした。久しぶりに携帯電話を持ったらこんなに重いものだったのかと思うくらい力がない。これで社会復帰できるのか?と悲惨な気持ちになりました。でも、先生方が早めにリハビリテーションを開始してくださったおかげで、ここまで筋肉も回復できたわけです。まだPCR陽性のうちに病室で開始したので、リハビリ担当の先生は防護服と手袋にフェイスガードを着けていたものの、きっと怖かっただろうと思います。

会話のキャッチボールで元気を取り戻した

梨田
入院中は自分では何もできず、ペットボトルのふたが開けられない。包装から錠剤を取り出すのも最初は看護師さんがやってくれていました。リハビリということで自分で取り出そうとすると、床に落としてしまいナースコール。そのたびに看護師さんは防護服を着けて来てくれる。もう「申し訳ない」「すみません」と謝るしかありません。家族の面会ができませんでしたから、洗濯物も看護師さんが乾燥させて丁寧にたたんでくれました。そのやさしさ、思いやりがありがたかったですね。脱毛が始まり、僕が「こんなに抜けるけど、どう?」と聞くと「年齢が年齢だけにもう無理かも」と言う看護師さんもいれば「大丈夫、大丈夫。すぐ生えますよ」と言う人もいます。そういう言葉のやりとりが楽しくてね。会話というキャッチボールがあって、初めて僕はちょっと元気を取り戻していると実感できたし、「よし、また頑張ろう」と思えました。先生よりも看護師さんと接する時間のほうが長かったですね。

入澤
医師、看護師、リハビリ療法士など、それぞれ専門性が異なりますから一人で全部をこなすのは不可能です。そこでチームを組み、各々の専門性を活かして患者さんの社会復帰をお手伝いしようという考え方が「チーム医療」です。新型コロナではご家族の面会が制限される中で、患者さんはずっと一人ぼっちになってしまうため、看護師たちは前にも増して患者さんに親身に接するようになったと思います。「スタッフの笑顔が患者さんの力になる」ということをぜひ医療従事者に伝えていただければ、キャッチボールがどんどん続く力になると思います。私自身も、まず患者さんの訴えはどんなことでもよくお聞きするようにしています。病状からくる訴え、心の訴え、それらをすべて吸収することから医療は始まるのだと思います。特におなかは“心の鏡”と言われ、実際に話をするだけで症状が落ち着いてしまう方もいらっしゃいます。病室を回るときも、必ずベッドの脇にしゃがんで患者さんの目線の高さでお話しするようにしています。

梨田
それはいいですね。僕も監督時代、子供たちからの花束贈呈を受けるときには、膝をついて同じ目線で「ありがとう」と言っていました。同じ目線の高さだと安心感があって、何でも言えるような雰囲気になります。

人の長所を見出し、伸ばす

入澤
ところで、梨田さんは監督として805勝という素晴らしい記録をお持ちです。リーダーとしてどのようにチームの選手たちに接していたのでしょうか。

梨田
監督の務めは選手の長所をいかに伸ばすかだと思います。2001年に近鉄バファローズで優勝したとき、前年は最下位でしたが、このチームは長打力が強みだったのです。だから選手にのびのび打たせるということを心がけました。それと器、つまり球場の大きさですね。たとえば大阪ドーム(現在の京セラドーム)はコンパクトなので、打ち合いの試合をすればいい。監督という仕事には、球場の大きさや選手の特徴・長所を見ながら戦う楽しさがありました。

入澤
梨田さんは人を鼓舞するのもとてもお上手です。中でも近鉄球団としての最終戦(2004年)で「お前らの背番号は近鉄の永久欠番だ」とおっしゃったのは印象的でした。それを聞いて燃えない選手はいないだろうと思いました。

梨田
あれは日頃からどこかでそういう思いがあったのでしょうね。選手たちにはこれまでの功績を胸に、プライドを持ってこれからの人生を生きてほしいと。でも、いつもは硬い雰囲気にならないように冗談をよく言っていました。選手は常にムチで叩くのではなく、ちょっとほぐしてリラックスさせないといけません。ボロ負けしても、負けるときは最初からあっさり負けるほうが戦力を温存できる。全貯金をはたいて経営に乗り出して破綻したら大変ですが、少ししか資金を使っていなければ、立て直せます。だからファンの方には申し訳ないのですが、大負けするのは大歓迎でした(笑)。負ければ自分なりに反省し、選手の練習内容や態度、表情や試合中の態度などをよく見て次に活かす。僕はキャッチャーだったので視野が広いのです。ピンチのときにいい顔をする選手にはチャンスを。チームが浮足立っているときに目が浮いている選手には任せられない。自分の中でそういう判断基準がありました。

入澤
なるほど。医師も個性派集団と言えますので、医療チームづくりの上でとても参考になります。

梨田
ラグビーで「ワンチーム」という言葉がありましたが、やはりチームというのはある程度一つにまとまらないといけません。僕がよく言ったのは、「常に俺のほうを向けとは言わない。年間143試合のうちの何回か、こっちを見てくれと言ったときだけは見てくれ。そのほかは好きなようにやれ」と。3球団で805勝できたので、本当に感謝しています。

入澤
今後また監督に就任されるときには“806勝目”の球場に私もぜひ足を運びたいと思います。どうか健康に気をつけて、これからも私たちに夢を見せてください。

梨田
ありがとうございます。負けの方も776敗ですから、あと1敗で7が並びます(笑)。

構成・中保裕子

プロフィール

梨田 昌孝(なしだ まさたか)
1953年、島根県生まれ。1972年に近鉄バファローズに入団。強肩捕手として活躍する一方、独特の「コンニャク打法」で人気を博す。現役時代はリーグ優勝2回を経験し、1988年に現役引退。2000年に大阪近鉄バファローズの最後の監督に就任し、2001年に前シーズン最下位だったチームをリーグ優勝へ導いた。2008 ~ 2011年は、北海道日本ハムファイターズの監督としてチームを率い、2009年にリーグ優勝&クライマックスシリーズ優勝を果たす。その後はNHK のプロ野球解説や日刊スポーツ野球評論家としても活躍。2013年にはWBC 日本代表野手総合コーチを務めた。2016~2018年には東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。3球団での監督通算成績は、805勝776敗である。

入澤 篤志(いりさわ あつし)

入澤 篤志(いりさわ あつし)
1962年生まれ、福島県出身。1989年に獨協医科大学医学部卒業。米フロリダ大学シャンズ病院超音波内視鏡センター、福島県立医科大学会津医療センター消化器内科学講座教授などを経て、2018年より獨協医科大学医学部内科学(消化器)講座主任教授に就任。専門は消化器内視鏡医学、膵疾患、胆道疾患、門脈圧亢進症など。日本消化器病学会会員・財団評議員。

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