

2022年、のどのつかえから頸部食道がんが発覚。化学放射線療法を選択し、数回の内視鏡治療を経て寛解に至った秋野暢子さん。病を公表し、「ガンとの闘い 鬼退治」と題した自身のブログで前向きに治療に向き合う姿を発信し多くの人を勇気づけました。4年経った今、自身の経験を振り返り、消化器がんの薬物療法に取り組んでいる高田先生と語り合っていただきました。
(2026年5月18日収録)
がん告知に「ああ、これで治療ができる」と思えた
高田
私は腫瘍内科医で、様々な臓器のがんや血液のがんに対して、薬物治療を中心とした内科的な治療を行っています。患者さんのがん細胞の遺伝子に最適な薬を見つけていく「がんゲノム医療」もその一つです。血液のがんと消化器がんの薬は少しずつ違うのですが、血液がんの研究が消化器がんにつながるところもあり、薬物療法の幅広い知識を持って消化器がんを診ることで、患者さんにもメリットがあるのではないかと思っています。秋野さんの頸部食道がんがわかったのは2022年だったそうですが、食道がんはいわゆる「がん検診」もなく、のどのほうにできた食道がんは特に見つかりにくいのです。どのようにわかったのですか。
秋野
2021年12月頃からのどに何かが詰まっているような感覚があり、おかしいなと思っていました。ただその前月に人間ドックで消化器内視鏡検査(胃カメラ)も受けており、異常はなかったので、まさかがんだとは思いませんでした。いろいろ調べていくと、東洋医学の考え方に自律神経の乱れからくる「梅核気」という、のどに梅干しの種が詰まっているような気がする症状があることを知り、それではないかとも疑いました。でも自律神経の乱れにしては、痩せるとか、眠れないということもないし、食欲もすごくあるし。耳鼻科などいろいろな病院に行きましたが腫瘍マーカーも上がっておらず、医師にも「何にもない。何だろう」と言われて、わからなかったのです。その間にだんだん症状が強くなったので、半年後にもう一度内視鏡検査を受けたところ、頸部食道がんだとわかりました。
高田
ブログを拝見すると、秋野さんはがん告知を受けてからもおそらくずっと前向きな気持ちで治療をなさっていたのではないかと推察しています。前向きな気持ちでいられた理由は何だったのでしょうか。
秋野
まず私はちょっとのんきなところがあって、あまりマイナスに物事を考えない性格なのです。特に、診断がつくまでの半年間は理由がわからないまま、のどが詰まっていく症状は悪くなっていくばかりだったので、がんとわかったときにはちょっとホッとしました。「ああ、これで治療ができる」と、そういうふうに思えたのが良かったのかもしれません。がんになってしまったことはどうにもできませんが、泣いても悔やんでも良くはなりませんから、とりあえず笑っていようと思いました。入院中もずっと笑っていました。主治医の先生が回診に来られるたびにいつも笑っていたので、「この治療は正しかったのだと思えて、医師としてもやりがいがあります」とおっしゃっていました。
高田
私も患者さんと医療者がうまくかみ合うと、治療自体もうまく行き、良い結果につながることが多いと思います。
秋野
私は診断を受けたとき、最初に主治医の先生に治療後の希望を伝えたのです。「私、このがんは治ると思っています。治った後はこれまでと同じような生活をしたいし、仕事もしたいのです」とお伝えして、治療方法を提案していただきました。治療が始まってからも、先生とは都度お話しさせていただきました。先生が忙しい様子のときは、気になることをメモして看護師さんを通じて渡してもらい、次の回診でお答えいただくこともありました。そういうコミュニケーションをとらせていただいて、先生が私の質問にきちんと応じてくださったことは、とても良かったと思います。
治療法は自分の責任で選びたい
高田
秋野さんの場合、手術という選択肢もあったと思いますが、抗がん剤と放射線治療を同時に行う「化学放射線療法」を選択されました。決めるときには悩まれたのではないかと思いますが、どういうふうに考えたのですか。
秋野
がんが声帯のすぐそばにあったので、手術で摘出すると声帯を失って声が出なくなり、仕事が全くできなくなります。手術療法のほうが若干再発リスクは少ないかもしれないのですが、私にとっては声を失くすことは死ぬも同然でした。それで早い段階で消化器外科の先生に「手術はできないので、他に治療法はないですか」と伺い、化学放射線療法を教えていただきました。他に先進医療で行われている陽子線治療なども検討してくださったのですが、私には難しく、放射線を照射しながらシスプラチン、5-FUという薬を使って治療することになりました。自分の身体のことですから、やはり自分で決めるのが一番だと思うのです。「お医者様にお任せします」では責任をお医者様に押し付けることになります。先生方だって任されても困りますよね。
高田
はい、おっしゃる通りです。
秋野
お医者様は治療のアイデアを出して選択肢を提案してくださるのだから、患者だって自分自身でそれを選ばなくては。その治療がうまく行っても行かなくても、自分の責任において選ぶものだと思っています。
高田
患者さんご本人が決めることは理想的です。そのためには患者さん側にも正しい知識と十分な情報が必要なので、秋野さんのように医師やご家族と情報をシェアしながら決めていくのが良いと思います。
秋野
インターネットには誤った情報も多いので、何が正しい情報かを見極めること、そして迷ったらやはり先生に相談することが大事ですよね。たとえば、自由診療のがん治療の広告はたくさんありますが、私は保険で受けられる標準治療を大事にするということが基本だと思っています。だって、その治療法は保険適用になるまで数多くの実験と臨床試験をくぐり抜けてきたわけですから。がんの種類はたくさんあるのに“どんながんにも効く”といううたい文句は信用できないですね。それに、がん患者さんの間でよく言われる「糖質制限」も、抗がん剤での治療中にブドウ糖を点滴しているから意味ないですよね。先生、あれはPET-CT検査をするとブドウ糖に似た検査薬(FDG)ががんに集まるから、そう言われるのでしょうか。
高田
そうなんです。検査薬はがんだけでなく、脳など糖の代謝が盛んな細胞に取り込まれるし、尿路のほうに出ていくので問題ないのです。好きなケーキを食べたところでがんが悪くなることはありませんから、糖質制限は全く不要です。
脱毛しにくい抗がん剤もある
高田
実際に化学放射線療法を受けられて、副作用はいかがでしたか。
秋野
抗がん剤の副作用は全くありませんでした。吐き気もないし、しゃっくりも出ない、口内炎にもならない、だるさもない。ですが、さすがに30回の放射線照射をすると、20回目ぐらいから皮膚の表面も内側も焼けるので、のどを物が通りにくいとか、味覚の障害もちょっと出ました。一番きつかったのは、水の味が変わってしまい、つらくて飲み込むことができなかったことです。それ以外は苦しいと感じることもなく過ごせました。
高田
ご自分で髪の毛を全部剃られたと聞きました。
秋野
はい(笑)。“抗がん剤=脱毛”という印象があって。女性は特に髪が抜けることで気持ちが落ちると聞いていたのです。それなら治療の前に剃っちゃったほうがいいな、と入院2日目にコンビニでT字カミソリを買って、自分で剃ったんです。T字カミソリのポテンシャルの高さを知りました(笑)。回診にいらした主治医の先生が本当にびっくりされて、そこで初めて髪が抜けない抗がん剤もあることを知ったのです。先生に「えー、早く言ってくださいよ」と言うと、「まさか入院早々に剃るとは思わなかった」と返されて(笑)。実際、私の場合は抜けませんでした。
高田
治療内容によって副作用の出方は違うのですが、患者さんたちにはなかなか伝わりにくいようです。抗がん剤と聞いただけで「受けたくない」と言う方もいらっしゃいます。抗がん剤治療は初回の導入時以外は外来通院でもできます。そういう事実をお伝えすると少し安心されますね。
秋野
「病は気から」と言いますが、私は「病は知(ち)から」だと思っています。がんがどういう病気なのかも、治療法も、知らないから怖いのです。がんは今、2人に1人の割合でかかる病気で、青天の霹靂(へきれき)で突然やってきます。がんになる前から少しでも知識を入れておくと、自分が診断されたときに怖くなくなると思うのです。知識を持っておくことで、がんという病気が向かってきたときに慌てず、自分自身がどのように治療に進んでいけば良いかを判断できる。まずはそこからですね。
がん治療のためにも、将来のためにも筋力を
秋野
私が抗がん剤との相性がよく、副作用がほとんどなかったのは、27歳くらいからずっと運動を続けていて、筋肉がついていたことが大きいそうです。主治医には「運動をやめずに、これからも何かあったときに対応できるような身体づくりをしておいてください」と言われました。現在も毎朝、自宅で1時間半、トレーニングしてから一日をはじめています。
高田
それはすごいですね。確かに筋力が維持できている人のほうが、筋肉量が少ない人よりも治療成績が良いというのは様々な病気で言われていることです。…そういう私は運動していませんが…。
秋野
え、それは“医者の不養生”じゃないですか(笑)。来年には私も70歳、年齢を重ねれば脚の筋力は当然低下していきます。脚の筋肉は心臓に血液を送るポンプの役目も果たしますし、がんかどうかに関係なく、とても大事。ですから、筋力をしっかり保って、80歳、90歳になっても自分の脚で歩きたいと思います。先生もぜひ運動してください(笑)。
高田
反省します。明日からやります(笑)。今日は大変素晴らしいお話をありがとうございました。

構成・中保裕子


